2021年12月31日金曜日

なにやら四方山話(76)

【追悼文】杉田尚志氏の死を悼む

在りし日の杉田氏(2017年の市長リコール市民集会にて)

八千代市の市民運動にとって、またもや貴重な人を失ってしまいました。

「市民が主役の市政を実現する会」の顧問であり、「情報公開と市民の会」の元代表であった杉田尚志氏が、肺疾患で8月に入院したものの、治療の甲斐もなく去る10月21日に逝去されました(享年85才)。ここに故人の御冥福を心からお祈り申しあげます。

逝去は10月21日ですが、それを知ったのは12月30日でした。てっきり入院中とばかり思っていました。たまたま近況を聞くために電話したところ、御家族から悲しい事実を知らされました。もっとマメに連絡すればよかったと慚愧に堪えません。

2~3年前から体調を崩した杉田氏に変わって一年前に「情報公開と市民の会」の代表に就任した故・原弘志氏(元八千代市議)が、同じ肺疾患で杉田氏の半月前に逝去されて追悼文を同会のブログに書いており皮肉な結果にとても複雑な気持ちです。そして、悲しい気持ちでいっぱいです。

杉田さんと私との出会いは、2015年11月22日に胃癌で急逝した、「市民が主役の市政を実現する会」と「情報公開と市民の会」の代表を兼務していた故・曽我正男氏と同様でした。故・杉田氏と故・曽我氏は両会の創成期からの市民運動家でした。そういう意味では八千代市の市民運動にとって、ここ数年で貴重な指導者を3人も失ったことになります。

とりわけ「情報公開と市民の会」は、前身の2003年7月に「公正な医療体制整備を求める市民の会」として発足。八千代市医療センター(破格の80億円を要して東京女子医大を誘致しました)に関わる問題点を明らかにし、最高裁まで戦いました。2004年5月から「情報公開と市民の会」に組織変え。曽我、原、杉田氏はその時からの中心メンバーでした。9年前からは「市民が主役の市政を実現する会」の役員としても活動しました。

私は市民運動は2010年からの関わりなので、その前のことは詳細には知りません。また、よく考えると杉田氏のことをよく知っているのかと言われると自信がありません。と言うのも、杉田氏は自身のことをあまり語らない人だったように思います。

杉田氏の人柄を一言でいえば「まっすぐな人」でした。

広島県に生まれ、その後に大阪に移住。国立大阪大学卒のインテリでした。大手総合商社で働くエリートサラリーマンとして外国にも足を運び、英語も堪能で読書家。でも、それらをひけらかすこともなく、淡々としていました。話をすると少々長くなりつつも、単刀直入にもの申すのも「杉田流」でした。

たびたび酒宴の席を共にしましたが、前述のとおり自身をあまり語らない(ごく最近、俳句をたしなんでいることを知りました)ので、今思えば10年以上も共に活動してきたのだから、もっといろいろな話をすればよかった。人生の意味について教えを請えばよかったと後悔しています。

今後は故人の意思を引き継ぎ、八千代市での市民運動の発展に奮闘する決意です。杉田さん、本当にお疲れ様でした。安らかにお眠りください。合掌。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。