2021年12月15日水曜日

なにやら四方山話(73)

 「第36回戦争を考える千葉集会」に参加してきました

満席の会場

去る12月12日、「戦争責任を考える千葉8月の会」主催の「第36回戦争を考える千葉集会」に参加してきました。同会は「戦争」の本質を考えることにより、再び戦争をさせない運動を長年にわたり地道に千葉の地で取り組んでいる会です。

今回は千葉市生涯学習センターにて、「後期日中戦争」の著者で、愛知大学講師の広中一成さんが「後期日中戦争期の中国戦線~太平洋戦争の裏で何が起きていたのか」を演題にしての講演でした。レジュメがなくプロジェクターのみの講演だったので、記憶とメモの範囲で記述します。違ってたらごめんなさい。

12月といえば8日の真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発した時です。ちょうど80年になるわけです。日本は「大東亜戦争」と位置づけ、連合国との太平洋や東アジア、東南アジアなどを中心とした戦争はミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦いで敗北。広島、長崎への原爆投下などで無条件降伏。

多くの国民の命と財産が奪われたわけですが、広中さんは「太平洋戦争に至る理由となった日中戦争において、多くのことが太平洋戦争前に起きていることにもっと注視するべき」と言います。盧溝橋事件、通州事件、第2次上海事変、南京大虐殺、トラウトマン工作、徐州作戦、武漢作戦、広東作戦、長期持久戦、第2次国共合作、平型関の闘い、台児荘の闘い、百団大戦、重慶爆撃、三光作戦、毒ガス戦、細菌戦(七三一部隊)、従軍慰安婦、傀儡政権等々。日中戦争は8年続きましたが後半4年間は太平洋戦争と同時のアジア太平洋戦争だったので、広中さんは太平洋戦争中の日中戦争を「後期日中戦争」と位置づけています。

左が若き歴史学者・広中一成さん。右が私。

日本=軍部の日中戦争の目的は大東亜共栄圏(日本を頂点として東アジア太平洋地域の共存共栄の確立~八紘一宇)としていましたが、結局は欧米の植民地支配を真似たにすぎず、目的もあまり深く考えていなかったといいます。それが「泥沼の日中戦争」になり、太平洋戦争に突き進んでいったのでした。

大量虐殺は28万人~30万人といわれる南京虐殺が知られていますが、江南殲滅事件のなかで起きた3万人が虐殺された廠窖事件など、数多くあるという事実があります。「虐殺なんてなかった」などと言う人もいますが、客観的な歴史観が欠けているとしか思えません。

さて、レポートが雑駁となりましたが、お許しを。まとめとしては①目的なき戦争が戦争長期化の一要因②指令官のひとことで進められる作戦③戦争犯罪を検証し事実を認める④被害者数や殺害方法で「矮小化」される戦争犯罪~戦争犯罪の本質に着目する。ということが認識するべきポイント。

最後に広中さんの著書「後期日中戦争」から一文を抜粋。

「後期日中戦争はなぜそれほど混迷したのか。その主たる要因は日本が日中戦争に明確な目的を示せなかったことである。(中略)目的もなく始まった日中戦争に大義名分を形作るため、日本政府は「東和新秩序の建設」を打ち出す。しかし、この抽象的な大義名分では日中両軍の軍事衝突を止める効果はなく、日本は何ら解決の糸口を見いだせないまま、強国の米英を相手とする太平洋戦争までも始めたのである」

これらは80年後の現在も共通しかねません。新自由主義、戦争法などの軍拡路線、増え続ける防衛(軍事)予算、憲法改悪策動など、戦争への道に舵を向けようとしている日本。再び目的なき侵略国家にしないために私たちの任務は重いと思うのです。


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